2024年のディストピア

このブログのムードにそぐわないことを承知で以下の文を書く。先にエントリーした福島県・三春町へ走りに行ってきた帰り道のこと。三春町からR288を愚直に東進した。E6常磐自動車道で仙台まで帰るためだ。地図で確認していただければすぐにわかるが、三春町から単純にR288を東へひたすら走ると大熊町、双葉町に到達し、これらの町を南北に縦断するR6にぶつかる。それらの町へ近づくにつれ「帰宅困難地域につき通行規制中」という看板が道々立つようになる。東日本大震災から12年、東京電力福島第一原子力発電所の立地に近いこれらの町の住人は、いまだに帰ることができずにいる。恥ずかしながら同じ東北・仙台の地に住みながらこのことを知らなかった。幹線道路の道端のあちこちに汚染土壌がぱんぱんに詰まったフレコンバックが壁を作っているなんていう如何にもな光景は見なかった。しかし長閑な田舎の風景の中に建つ立派な家々には例外なく門にバリケードが設置されていて、通り過ぎる際に徐行して覗き込んでみると屋内は暗く荒れている。ガラスが割れたままの家もある。晴天下の長閑な風景との対比にぎょっとする。筆者は図らずもリアルディストピアの真っただ中を走っていた。

大熊町・通行規制表示
バリケードが設置された住宅
左右の家には個別にバリケードが設置されており、
真ん中の路地奥にはさらに3-4軒の家がある
総合スポーツセンター付近
画像奥の家々にも
バリケードが設置されていた

稼働している何かしらの事業所はいくつもあるようだが、おそらく業務時間だけ滞在が許されているのだろうし、もとよりゴールデンウィーク中だからそちらも無人である。唯一人の気配がするのはスクリーニング施設の駐車場だけ。大熊ICを見つけられず右往左往してしてしまい、結局R6を北上して常磐双葉ICからE6に乗ったのだが、ストレートに望むICに辿り着けなかったのは、あの緑色の案内板が無かったからだ。それはそうかもしれない。住人はおらず決まった関係者だけが利用するのだろうから。R6沿いだって道路に面している建物と路地にはすべてバリケードが設置されており、主要な道路にだけ警備員が通行許可証確認のために所在なげに立っている。12年経った今でも。日焼け対策をばっちり行うような陽気だったが、この風景の中にいる間だけはずっと背筋が寒かった。

誤解無きようお願いしたいのだが、こういう事実、体験を書いたからと言って、筆者の政治的信条や原発事故に関する何かしらの主張をしたいわけではない。だが野山の中の一軒家の門前のバリケードや、12年間配置され続けている警備員の姿をその目で見ることは、この問題を考えるための小さくない補助線足り得ると思う。みんな見に行けとはもちろん言わないが、12年前のあの原発事故がまったく解決していないことだけは、はっきりと書いておきたい。少なくとも「もう時間も経ったし、オレには関係ねーや」とは筆者は決して言えない。

追記
2020年に双葉町沿岸部の一部地域では避難指示が解除されていた。

日本経済新聞記事「福島県双葉町、復興が新段階へ 避難指示を一部解除

上記記事を参照すると、筆者が走っていたのは解除地域よりももう少し南西の地域だった。居住可能になった地域には飲食店もできはじめているようだ。今度メシを喰いに行こうと思う。

8件のコメント

  • 私は以前から何回か通ってますが、通るたびに、まるで、映画のセットの中を通っている感覚に陥ります。さくっと辺りをみると、家もさほど壊れてないので、今にも住民や店の客が出てきそうな雰囲気なんですが、目を凝らすと、中は荒れ放題、家と家の間にバリケード、いたるところに警備員がいたりして、本当に、口では到底伝えられない空気感があります。ディストピアという単語がぴったりと当てはまりますね。1件だけガソリンスタンドがあって、人がいるんですが、ここを通るとなんかホッとします。ガソリンもそこで入れます。

    • あああああー!ガソリンスタンドは気が付かなかったなぁ。オレも次回はそこで入れることにします。
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      別にあの辺りを避けていたわけじゃなくて、単にR6が嫌いなんです、退屈だから。結果として長いこと足を運ばない結果になってしまっていたんですね。まぁ言い訳ですね、こりゃ。そうそう、口や文章で伝え切れない空気感ですね。長閑な景色と一見変哲のない家々の現実という対比がキツ過ぎて脳みその処理が追いつかない感じ。「映画のセット」、まさに。

  • acatsuki様
    ぐるーっと周っていらした感じのドライブだったのですね。
    私は、南相馬の小高駅前までしか行ったことがありません。(コロナ前だったのでもうずいぶん経ってしまいましたが…)駅前にある「フルハウス」という本屋さんに行くためで、数冊書籍を購入して帰ってきました。また行きたいなとは思っているものの、その後、行くことができずにいます。(acatsuki様のブログを拝読して、また行こうと思いました。)私は時間優先で常磐道を使って行き帰りしただけでしたが、道中にも小高駅前にも線量計があって、非常に緊張しながら運転したことを覚えています。今生きている世代で終わる話ではなさそうですし、近くに行って実際に風景を見た人にしか分からない緊張感もあるので、言語化して残していくのは大事なことですね~。

    • フルハウス、行った事はないのですが、かつての仕事で少しだけ掠ったことがありました。今さらながら、本屋さんで本棚を眺めるのって楽しいですよね。電子書籍でばかり買うようになってしまったので、話そのものがぐるっと回った感がありますが……。仙台にも店主の目利きでお客さんを呼んでいる本屋さんが何軒かありますから、オレはまずそっちに行きたいと思います。
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      線量計表示、ありました。実際に大熊町や双葉町から離れるにつれて線量が減って行くのが返って怖いというかなんというか。言語化の重要性なんて大層なものじゃなく、「まだ帰宅困難指定されてる町があったのか!」という驚きと、それを今知る恥ずかしさと、「ぜんぜん終わってねーじゃん!」というやり切れ無さは自分の中にだけしまっておくことができませんでした。誰か聞いてくれーって感じで書きました。

  • acatsuki様
    電子書籍のほうが効率よいとは理解しつつも、紙のページをめくるほうが何だか好きで、いまだに電子書籍に移行できずにいます。(時代遅れ!)本屋さんが少しずつ減っていくのは寂しいです。「やり切れ無さ」は仰る通りですね。今さえよければ…という人間の営み方は、古今東西、ずーっと変わってないんだろうなぁと何となく理解し始めた感じがしています。歴史を勉強するなんて、学生の頃は覚えることが多すぎて嫌でしたが、大事だなぁと。この歳になってかい!…なんですよね~。タイムマシンがあるなら〇十年前の自分にもう少し勉強しろと言ってやりたいところです。(滝汗)今度はゆっくりクルマのお話が良いですね。(笑)

    • 明確な基準はありませんが、活字が並んでいる本は紙で買うことが多いです。どうも自分はコンピューターの画面の中の縦書き読みに違和感を感じるようで。電子はもっぱらマンガですね。最近どんどんお金をつぎ込んでてやばい!それにしてもマンガは高価になりましたねぇ……。てんとうむしコミック1冊340円時代を知っている世代ですので(笑)。
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      やり切れ無さと表現しましたが、うーん、そうですね、問題が内包する時間軸の長さが日常のそれと比べ物にならないほど長いことにクラクラ来てるんじゃないかとも思いました。大熊や双葉といったごく狭い地域の話だとしても、人がいなくなることで失われてしまった「地域の文化」がふたたび醸造されるまで、いったいどれほど時間がかかるのか。人さえ戻ってくれば元通り……とはいかないじゃないですか。元通りというよりは新しく作られるものだと思いますし、そうなると百年単位じゃないかなぁと。もちろんそれは原発事故の後処理と並行して行われるものでもあって、そっちも時間がとてもかかりますものね。覆水盆に返らずとは言いますが、「いやー、失敗しちゃった」ではとても納得できない結果を突然見せつけられてしまった……という感じです。

  • こんばんは。私は6年ほど前に夜の森にサクラを見に行ってきました。その時、acatsukiさんと同じように感じました。それ以来機会を見つけて浜通りに行くことが増えました。
    本当にまだまだ終わっていない。終わりがあるのだろうか?の世界です。三春や川俣の辺りは何気ない国道でも岡に囲まれた道が多いので好きです。今回のR288はまだ走ったことが無いので、そのうちに走ってみます。

    • ほんと、そうですね。終わりがあるのだろうか。もしかすると「明確な終わり」は打たれず、徐々に変容した世界に新しい秩序や風俗が築かれているのかもしれません。きっと誰も「はい、これでこの件は終わり!」とは言えないんじゃないかなぁ。とにかく繰り返し足を運んでみるしかないですね。

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