2024年3月30日・雄勝

3月だから石巻市雄勝に行ってきた。毎年恒例のツーリングである。だが3月11日には行かない。ご家族・ご親族を亡くした方々の追悼の邪魔をしたくない。11日は大人しくしている。今年はずいぶん遅くなった。

先日のみいさんにお誘いいただいた朝ミーティングで、個人的に思い入れの深い岩沼・相の釜近辺の沿岸道路が復活していることは体験できている。一瞬そのことを今年の被災地詣に替えようかと思わなくもなかったが、偶然と能動的な訪問は違うものと言わざるを得ない。行き先を自分で考えた結果が雄勝であった。このブログでは折々に雄勝を訪れたエントリーを上げているが、震災後すぐの2011年11月に訪れている

メディアに頻出した建物屋上に流された観光バス
2011年11月
上掲画像撮影ポイントからくるりと振り返ったところ。
2012年5月。EDO復興商店街ツアーにて

翌年にはEDOセッションで復興商店街ツアーをしてもいる。つまり津波被害がまだ生々しかったタイミングの雄勝をこの目で見ているのだ。あの衝撃を思い出せば、2024年現在の雄勝湾周辺の新しい景観もまた同じく衝撃ではある。前回は石巻市真野と通ずるK192の復活記念と絡めての雄勝訪問だった。その時はたまたま火曜日で、目的地とした道の駅ではほとんどのテナントが定休日だったため閑散としていた。今回の訪問は土曜日。むしろ混み合っていてほしい。

曉スタジオを朝9時半頃に出発。この日はE45三陸自動車道も使用せず、下道だけで仙台から大和町、大郷町、鹿島台、石巻市街地を経て真野からK192に乗る。特に大郷町内から鹿島台に抜ける広域農道(農免農道だったかな)が素晴らしい。とにかく誰もいない。マイペースで走破できる。通常なら大郷・鹿島台間はR346かK16を走ることになるだろうが、どちらも交通量はそれなりに多いからこの差は大きい。JR鹿島台駅にほど近い小名須川板金塗装工業には、この日車種不明のフェラーリ1台とランボルギーニ ウラカンスパイダー1台がひっそり駐車されていた。ウェブサイトの情報と現場の佇まいがミスマッチな、多分一流のファクトリーなのだろう。

鹿島台から石巻市内へ抜ける道の選択肢は多分いくつもあるのだろうが、筆者のルートライブラリだと田園の中を一直線に走り抜けるK16一択である。だがこの日のK16は工事による交互通行でペースは上がらず。思わず眠気に襲われてしまい、某コンビニ駐車場で20分の仮眠を取った。夜充分に眠れない日々が続いていて、地味だが確実にこういう影響が出る。さらにその先、R108に合流して市街地へ向かうと蛇田周辺の混雑は非常にストレスフルだった。まぁイオンモールやロードサイド店舗が林立するこの周辺の混雑は覚悟の上だ。

それでも田園地帯の真野へ抜ければもう大丈夫。改めて見渡せば上品山も一面の田んぼもすっかり春の色である。

定点観測地点。
この消失点の先にK192真野側入り口がある

昨年9年越しの走破悲願成就となったK192が、この日もまったく通常運転で走れることに改めて驚き。なぜなら災害工事の延長に次ぐ延長でずいぶん待ちぼうけを喰らったからだ。工事後の開通を9年も待つ筆者もシツコイが、そんな風に待たされた立場としては「今日も普通に走れる!」と驚いてしまうのも無理ないことだ。そんな1年ぶりのK192は周囲の松の木からの落葉が酷く、多くの区間でアスファルトがまったく見えないほどだった。濡れていて滑るというわけではないが、折れた太い枝や小さな落石がその落葉の絨毯に紛れているのでペースを上げられない。9年ぶりの開通日はほぼ1年前のこと。1年でこんなに荒れるとは……。再び整備通行止めなんて事態になるかもしれない。筆者以外のクルマは絶無。路面状況さえ良ければなぁ……。

そのK192も雄勝側に抜ければ美麗山道である。するすると下り、太平洋沿岸を南北に走るR398との交差点をさらに雄勝湾内側に渡って数km走れば、今回訪問の目的地「道の駅硯上の里おがつ」である。それなりの人出にホッとする。到着はちょうど昼時。飲食店がふたつ入っているが、そのうちのひとつ「伝八寿司」に入店。GoogleMapに投稿された写真でメニューや料理画像を確認していただければおわかりのとおり、海鮮丼やおきまり握りとともにそば・うどんも供する、どちらかといえば「町の食堂」的な色合いのお寿司屋さんである。厨房に対面するカウンターへの着席を促されたので、ダメ元でお好みで握ってもらえるか訊いてみたら意外や快諾された。お願いしておいてナンだがまさかOKされるとは思っていなかった。慌てて目の前のHOSHIZAKIのネタケースの中身を吟味しつつ、いくつか握ってもらう。

手始めに中トロ、かんぱち、ひらめを二貫ずつ

海鮮丼中心という事情もあるのだろう、ネタの種類はさほど多くない。あまり量を食べられないからそれでも良いとは言え、「今日は○○の良いのが入ってますよ!」みたいなやり取りがなくそれが少しだけ残念だった。まぁ面倒くさいことを言うのはやめよう。雄勝でお金を使うことに意義がある。客の出入多し。半分くらいは近隣住人のようで、厨房の職人さんたちとお客さんが親しげに言葉を交わしている場面を何度も見た(っつーかカウンターに座る筆者の頭越しに会話されてたんだけど)。地域に愛されている寿司屋にはそれだけで好感を持ってしまう。ごちそうさまでした。

改めて雄勝湾をしみじみ眺める。こんなきれいな海がねぇ……。こちらのサイトに雄勝の被災前の画像が何枚かアーカイブされている。筆者の記憶にある雄勝地区はこれらの白黒写真よりはもう少し新しい景色ではある。だがいすれにしても現在の景色からは津波被害前の街並みを思い浮かべることは難しい。寂しいことだが、一方で地震と津波の被害からの復興は「元に戻る」という意味ではない。そんなことは不可能だ。ここから雄勝の新しい魅力が生まれて行くはずで、そう思えばまたこの景色の見え方も違ってくる。幸い特産品の硯石・スレート材は今も全国から引き合いがあるという。伝八寿司の握りはスレート板に乗せて供された。特産品の魅力が変わらずに生きていることが頼もしい。

帰路はそのままR398を北上し、K30で石巻市内へ戻る。この北上川河畔をひたすらバビューンとぶっ飛ばせるこの区間は、晴天なら痛快だ。小さな集落がひとつあるきりだから人の気配はほぼない。だから約12kmのこの区間は荒天時は地獄の様相だが(笑)、お日様が出てさえいれば、まるで永遠に堤防の上を走り続けるかのような錯覚を覚える。

古川橋でR45に合流してそのまま市街地へ戻るという手もあるが、もう混雑はごめんだ。桃生町へ抜け、まったくの勘を頼りに田尻町方面を目指してみる。その結果うっかりR108に戻ってしまい、何も考えずこのまま進めばさらに大混雑が予想される大崎市街地へ直行である。うへー。そこでいささか不本意であったがR346に乗り少し南下する。ファミリーマート宮城南郷店から西へ曲がると初走破の道。これくらいのボーナスは欲しい。いつの間にか小牛田におり、あとは鳴瀬川沿いのK152を久しぶりに走り三本木へ。これまた睡魔に襲われたのでチェーン装着スペースでまた仮眠。たかだか15分程度の仮眠が非常に効く。調子を取り戻したあとは大郷町、大和町といつもの道を淡々と戻る。約6時間/193km

古川橋を通り越し、K30。北上川河畔
K21とR108の合流する交差点で赤信号待ち

カメラを下げて入店したからか、伝八寿司で職人さんから「今日は写真撮影に?」と訊かれた。「時々雄勝には来ているんです。3月11日ぴったりに来るのは、あまりにもあざといじゃないですか」と答えたら、にっこり笑って感謝された。筆者ひとりが訪問しても、少しのお金を落としても、ブログに記事を書いても、被災地に暮らす人々の生活が明日から突然良くなるなんてことはない。だが何か動きがあった時に、現場の空気を知った上で発言したり行動したりできるようにしておきたい。思えば震災以降は現地の人たちの現実的な声を聞き、何度も自分の考えを軌道修正してきた13年だった。特にここ数年は被災者ひとりひとりの事情に沿った多様な復興支援が求められているように思う。また支援という身体的、経済的アクションではなく、いつでも動けるように控えておくという考え方もありだと思うようになった。これという正解はない。まずは忘れないこと。そして力まずに現地を訪れることを続けるしかない。

2件のコメント

  • こんばんは。「力まずに現地を訪れることを続けるしかない。」重い一言です。私はどうも怖いというか、泣けてくるというかで3月の鎮魂ツーリングのようなことはできないのです。何と言っても2011年のGW初日に妻の実家(山元町)に片付けのお手伝いに行った時の、若林JCTからの光景が忘れられません。あの激変ぶり。浪だが出ました。もちろん実家の状況も大変でしたが、大学生のボランティアが来てくださっていて、日本に住んでいて良かったという思いも忘れませんが…。こんなことを言っては失礼にあたるかと思いますが、やはり偉いです、と言いたい。3月に行けないとしても、別の機械に被災地方面を訪れたいです。もちろん美味しいものを食べに。
    さて、驚いたのが小名須川板金塗装工業の名前が出たことです。その工場の入り口にあるのが宮城県地名学会の会長のお宅で、年間3~4回はお邪魔するお家だからです。我が家には先生から頂いた小名須川板金塗装のスーパーカーカレンダーも貼ってあります。あそこを通る町道までご存知とは!恐れ入りました。いつお邪魔しても、あの工場には2~3台のスーパーカーが止まっています。ミリ単位で補正できるフレーム修正機があるとのことで、必ずフェラーリとかあります。
    改めてacatsukiさんの凄さにおどろいています。
    あとは、K30ですね。私はいつもR398で河口の方に行ってしまうので、知りませんでしたが、今度走ってみます。
    今回も新しい道を紹介いただきありがとうございました。

    • コメントありがとうございます。3月にこだわらなくて良いと思うのです。どうせ海鮮丼を食べに行くなら女川に行ってみようとか、イチゴ買うなら山元町に行ってみようとか、そんな感じで良いと思うのです。現地で被害に遭った人だって、会う人会う人に気の毒がられたら滅入っちゃうと思いますし。そうですよね、石巻・女川・雄勝だけじゃなくて、若林区も岩沼も亘理も山元も酷かった。2011年8月夜の仙台空港近辺の暗闇が忘れられません。
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      小名須川、以前kikuchi大先輩から聞いたじゃないですか(笑)!スーパーカーカレンダー、羨ましい!あの農免農道、町道、すっごく良いですよね。
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      大川から石巻市内へのK30、ぜひ晴天時に走ってください。曇天、雨天時は印象がまったく違うので(笑)。

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